文学のポップカルチャー化について

純文学について

純文学の定義は十人十色であり、誰もが納得できる明確な定義はないといわれている。
特に、昭和50年代以後、文学のポップカルチャー化ともいえる現象が進行してからは、一層定義が困難になっただろう。
だが、純文学が芸術とみなされていた昭和40年代頃までに限っていえば、純文学という言葉についてある程度の共通イメージがあっただろう。
純文学とは、小説・文学作品のうち、芸術的価値が高いとみなされたものに対しての、一種の尊称・敬称であったろう。
そして、昭和40年代までの日本の[文学・小説の世界]は、純文学を頂点にして、純文学でない文学・小説−中間小説−大衆小説−ミステリー・SFといった階層構造(ヒエラルキー)をなしていたといえる。
では、どういった作品が芸術的価値が高いとみなされていたかといえば、大部分の作品はリアリズムの手法で人間を描いたもの、人間の内面や心理を描いたものであったため、純文学とはリアリズムの手法で人間を描いた小説だ、といったイメージが社会に流通していったといえる。
純文学=私小説といったイメージをもつ人が多くいたのも、私小説がリアリズムの手法で人間を描く小説の典型だからだろう。
だが、純文学=リアリズム小説といった定義が的外れなのは、安部公房が純文学作家と呼ばれていたことからもあきらかだろう。
ただ、非リアリズム系の作家で純文学作家と呼ばれた人は極少数であったため、世間一般では「純文学=私小説、リアリズムの手法で人間を描いた小説」といったイメージが根強く浸透していたといえる。

文学のポップカルチャー化

だが、純文学が尊称・敬称であった時代は昭和40年代頃までで終わったといえる。
昭和50年代にはいると、芸術とみなされる作品が減少し、ポップカルチャーといえる作品が、文学・小説の主流となっていった。
「芸術としての文学」から「ポップカルチャーとしての文学」への転換を象徴するのが、1975、76年の芥川賞だろう。
1975(昭和50)年下期の受賞作家・中上健次は、文学が芸術とみなされていた時代の最後の大物といった雰囲気がある。
一方、1976(昭和51)年上期の受賞作家・村上龍は、その後のポップカルチャー化した文学を代表する作家といえる。
ただし、ポップカルチャー的な文学は村上龍以前にも多く書かれていたはずだし、文学の芸術からポップカルチャーへの変質は、石原慎太郎の「太陽の季節」から村上龍の「限りなく透明に近いブルー」まで、長い時間をかけて徐々に進行していった現象といえるだろう(ポップカルチャー的な文学の起源はもっと古くに求められるだろうけれど)。
文学の主流が芸術からポップカルチャーへと移行した現象は、音楽の主流がクラシック音楽からポピュラーミュージックへと移行した状況と似ているかもしれない。
ただ、音楽の場合は使用する楽器、編曲の様式など、少し聴いただけでクラシック音楽とポピュラーミュージックのちがいがわかる。また、両者が異なるジャンルとして区分けされている。
それに対して、「芸術としての文学」と「ポップカルチャーとしての文学」は、何ページか読んだだけでちがいがわかるわけでもないし、両者をわける明確な基準もない。作家や批評家の中には、通俗的な作品は文学(芸術)ではなく読み物だと主張する人もいるが、通俗的かどうかを決めるのは読んだ人の主観的な判断にすぎず、明確な基準がないことにかわりはない。
それに、「芸術としての文学」と「ポップカルチャーとしての文学」という区分けは、ただの比喩あるいは言葉遊びにすぎないともいえ、そもそも個々の作品を「芸術」であるか「「ポップカルチャー」であるかにわける行為自体に意味がないかもしれない。
だが、昭和40年代までの文学作品と、昭和50年代以降の文学作品に質的なちがいを感じる人は多くいるだろう。
そして、そのちがいとは、文章表現力、技術力(ストーリーテリングの技術ではなく、あくまでも文章表現の技術力)のちがいだろう。
クラシック音楽の演奏家が、修練によって身に付けた高度な演奏力、技術力をもっているように、文学が芸術とみなされていた時代の純文学作家は、文章修業によって得た芸術的な文章表現力をもっていたのだろう(この場合の表現力は、写実的な文章表現力であったケースがほとんどだろう)。
文学のポップカルチャー化とは、修業によって身に付けた高度な文章表現力がなくても、内容が面白ければ評価される時代へと変化したことをいうのだろう。
(今述べたことは、1980年代、「文体信仰の終焉」といった言葉で語られていた筈である。)
1980年代以降の文学作品、小説の評価は、文学が芸術とみなされていた時代の評価基準を用いるのか、ポップカルチャー化した時代の評価基準を用いるのかによって大きくかわってくるだろう。前者の場合、1980年代以降の作品は大半が評価できないものであろう。一方、後者の立場の人からすれば、文学が芸術とみなされていた時代の評価基準を用いるのはアナクロニズムにすぎないのかもしれない。

階層構造の崩壊

昭和50年代以降、文学のポップカルチャー化とともに、純文学を頂点とした階層構造も崩壊し、純文学のイメージも変質したといえる。
こうした階層構造の崩壊は、市民革命によって身分制社会が崩壊し、国民が法的・形式的に平等になった社会を連想させる。
純文学、中間小説(1980年代には既に死語にちかくなっていたが)、大衆小説あるいはエンターテイメント等、各ジャンルがかつてのような上下、高低の関係ではなく、横の関係(ただのサブジャンルのちがい)になったといえる。
1984年頃、岩波書店の雑誌「へるめす」で、大江健三郎、井上ひさし、筒井康隆の3人が当時を代表する作家として鼎談を行ったが、貴族(純文学)、中間階層(中間小説)、下層階級(SF)と、出自のちがう作家たちが対等な関係として出版社に遇されていたところに、身分制の崩壊が感じられたものである。
ただし、こうした上下関係の消滅は表面上なくなったようにみえただけかもしれない。表層的な身分関係がなくなった分、ジャンルごとの優越感、劣等感はより隠微な形で温存されていたかもしれない。

純文学概念の変質

文学のポップカルチャー化、それにともなう階層構造の崩壊、これらによって純文学の尊称・敬称としての意味は、実質的に消滅したといえる。
大江健三郎や中上健次など少数の作家は、尊称の意味で純文学作家と呼ばれていたが、「純文学」自体が他のジャンルより価値が上だという認識はなされなくなっていった。
純文学という言葉に共通認識(文学作品・小説のうち芸術的価値が高いもの)がなくなったにもかかわらず、純文学という言葉の定義を明確にせず、各人がそれぞれの定義で純文学という言葉を使用したため、この時期以降の純文学の意味は混迷をきわめる。
例えば、1980年代には、かつて中間小説作家、大衆小説作家とみなされていた小林信彦、筒井康隆の作品が、純文学書き下ろし作品として出版された。各人が好き勝手な定義で自分の作品を純文学作品と名付けることが可能になったといえる。
(私などは、非純文学系作家たちの純文学コンプレックスの根強さをあらためて痛感させられた。ただし、純文学書き下ろし作品というキャッチコピーが、作家の意向ではなく出版社の意向でつけられたのなら、私の感想は的外れといえるかもしれない。)
昭和50年代以降デビューした純文学作家は、純文学系の雑誌からデビューしたから、あるいは出版社が純文学作家としてデビューさせたから純文学作家と呼ばれるという一種トートロジイ的な状況も生じた。
また、純文学という言葉に尊称としての意味がなくなった分、私小説作家やリアリズム系の作家は、作品の価値にかかわらず、私小説作家であるというだけで、リアリズム系の作家であるというだけで純文学作家と呼ばれるようになった。
また、純文学か純文学でないかが、書き手の意識のちがいで区別されるようにもなった。80年代には、中間小説、大衆小説という言葉にかわってエンターテイメントという言葉が流通されるようになり、文学=純文学とエンターテイメントというジャンル分けがされるようになった。作家が、自身の作品を「エンターテイメントではないもの」として執筆すれば、それが文学=純文学とみなされるようになった。
かつては、「純文学より価値が劣るものがエンターテイメント」と、純文学側に軸をおいて小説がジャンル分けされたが、80年代には「エンターテイメントでないものが純文学」と、エンターテイメント側に軸をおいて小説がジャンル分けされるようになったといえる。
特に、この変化が純文学作家たちにもたらした影響は大きかっただろう。「純文学」というジャンル自体に特別な価値があるわけではない、エンターテイメントとしての面白さもない(商品価値がない)、という状況は純文学作家たちの自尊心や存在意義にかなりのダメージをもたらしただろう。

今日の純文学概念

現在でも多くの人が、(おそらくは無意識のうちに)純文学という言葉を使っている。
だが、文学、純文学、小説、エンターテイメント、これらの言葉や概念を明確に定義付けて使用しているかは疑問である。
尊称・敬称として、作品の価値や完成度が高いと評価した作品に対して使っている人がいる。
一方、私小説やリアリズム系の小説に対して使用している人もいる。
また、純文学を文学と同義語とみなして、エンターテイメント系の作品と区別するために使用している人もいる。
私自身は、昭和50年代以降の、地殻変動後の文学や小説を語る際に、純文学という言葉は不要むしろ邪魔だとさえ思っている(ただし、使い古された言葉なのでついつい無意識のうちに使ってしまうこともあるが)。
私小説やリアリズム系の作品に対しては、文学という言葉を使えばいいのだから、わざわざ純文学という言葉を使用する必要がない。
エンターテイメント系の作品と区別する場合も、文学という言葉を使えばすむだろう(ただし、文学という言葉を、純文学とエンターテイメント系の作品を含めた広義のものと定義付けた場合、「広義の文学」と区別するために、「狭義の文学=純文学」という使用法はかんがえられる)。
純文学という言葉を使う場合、それなりに説得力があるのは、かつてのような価値が高いと判断した作品に対する尊称・敬称として使用する場合だろう。
ただその場合、優れたエンターテイメント作品は純文学とはいわないのか、「優れた文学作品=純文学」と「優れたエンターテイメント作品」の価値は等価なのかといったあらたな疑問も生じてくるが。