総理大臣が職を投げ出した時は、解散総選挙で民意を問うべきか


鳩山首相は、普天間問題で行き詰まって総理を辞職しそうな予感がする。その場合は、解散総選挙を行って民意を問うべきだろうか。
法的にはその必要はないはずである。もし法的に解散総選挙をしなければいけないのなら、安倍元首相も福田元首相も法律違反をしたことになる。
だから、総理大臣が無責任ともいえる政権放り投げをした時に、衆議院を解散して民意を問うべきかは、道義的あるいは思想的・理論的問題だろう。
思想的・理論的なことは専門家でないのでわからない。そもそも、一国の総理大臣が任期の途中で無責任に政権を放り投げるなどという事態は、誰も想定していなかったので、その場合どうすべきかは専門家ですらはっきりとしたことは言えないのではないだろうか。
道義的に考えた場合、総理大臣が重職であることを考えれば、無責任に政権を投げ出すような人物を党首・総理に選んだ政党に、引き続き政権を任してよいか、あらためて選挙で民意を問うた方がよいだろう。
ただし、安倍元首相、福田元首相が無責任に政権を放り投げた時、総選挙に反対した人たちには解散総選挙を行えという資格はないだろう。
(安倍元首相の支持者は、安倍元首相が総理を辞めたのは、健康上の理由であって、無責任な政権投げ出しではないと主張するかもしれない。だが、前代未聞の政権投げ出しを正当化するための口実として病気をもちだしているのではなく、本当に健康上の理由で総理が続けられなくなったのだとしても、辞め方が無責任であったことにはかわりがない。まず総理代行を立ててから入院し、どうしても総理を続けられないのならその時点で総理職を辞すべきであっただろう。ただし、これはあくまでも筋論の話。個人的には、安倍晋三が馬脚をあらわすような形で失脚したことを心の底から喜びました。しかし、福田康夫にしろ安倍晋三にしろ、無責任に政権を放り出した人間が恥ずかしげもなく政治家を続け、それどころか次の選挙に立候補して当選してしまうのだから、日本の政治状況は「ふはっ」としか言いようがない。世襲政治家とその後援者たちが、政治を私物化している象徴的な出来事だろう。鳩山首相も、もし無責任に政権を投げ出したりしたら、その時は政治家も辞めるべきだろう。)
一方、安倍・福田両元首相が政権を放り投げた時に解散総選挙を迫った民主党の議員たちが、自分のところの党首が同じことをした時にこれを主張しなければ、二枚舌を非難されるだろう(民主党の議員が、与党になった途端かつての自民党議員のような主張をし、自民党の議員が、野党になった途端かつての民主党議員同様の主張をするという茶番をこの半年近く繰り広げてきたから、充分ありうる話ではある)。
本当に鳩山首相が政権を放り投げたりしたら、民主党の支持率は「ガタ落ち」するだろうし、次の内閣が解散総選挙を行わず政権にしがみつき続けた場合、安倍退陣後の自民党と同じ末路を民主党も辿る可能性が高いだろう。
だが、仮に総理を辞めるとしても、その辞め方次第で、世論は大きく変動するかもしれない。鳩山由起夫小沢一郎がともに党代表・幹事長を辞め、国民に人気のある新しい党首・幹事長が就任した場合、内閣支持率民主党支持率も大きく上昇する可能性がある(政治家としての力量より国民人気を優先させるのは、それ自体、衆愚政治化、ポピュリズム化した悪弊ではあるけれども)。
一方、無責任としかいえない形で総理を辞めた場合は、解散総選挙を行えという世論が高まるだろうし、その世論を無視すれば結果的に民主党が自分の首を絞めることになるだろう。
冒頭の問いに戻れば、まず重責を投げ出した総理大臣は、政治家も辞めるのが筋であろう。そして、これは完全な冗談だが、総理職を投げ出した政治家に再び投票した有権者は、選挙権を取り上げたいぐらいだ(そのような有権者が仮に衆愚であったとしても、選挙権は国民が平等にもつべき権利だから、それを取り上げるわけにはいかないけれども)。
解散総選挙を行うべきかについては、衆議院選挙を政党自身に対しての信任投票と判断するか、鳩山由紀夫を代表とする政党に対しての信任投票と判断するかによって意見がわかれるだろう。民主党自身が支持されたと判断すれば総選挙を行う必要はないし、鳩山由紀夫を代表とする民主党が支持されたと判断すれば、その代表が無責任な辞任をしたのなら、あらためて選挙で民意を問うべきだといえるだろう(これは、2006年に小泉純一郎が総理を辞めたとき、あらためて総選挙を行うべきだったか、その必要はなかったかの問題でもある)。
現在の政治制度の下では、総理大臣が政権を放り投げたとしても、あらためて総選挙を行う必要はないのかもしれないが、こんな馬鹿げたテーマを考えてみなければいけない位、日本の政治は劣化しているのだろう。