総理大臣の衆議院解散権について

今回の衆議院解散総選挙に対しては賛否両論あるが……。
(もっとも私の知る限りでは今回の解散総選挙を肯定している意見で説得力のある主張は1つもなかった。「今回の解散に大義なんてものはない。だが、安倍晋三のやろうとしている政策を支持しているから、あと4年間安倍政権が続いて欲しい。だから、今回の解散総選挙を支持する。」そのような主張をするのであれば、正直な感想であり、私とは異なる考えではあるが、特に反論しようとも思わない。だが、解散そのものに大義があるのだと主張しようとして屁理屈を並べているさまは見苦しいだけだった。)


自民党というのは政権与党に1日でも長く居続けられるのならば、なんでもやる政党であり、そのような政党に対して「解散の大義」などというものを求めても無意味である。
解散に大義がなければ、それをでっちあげる、それが自民党である。
(さながら、「大東亜戦争 / 太平洋戦争」を行った戦前の政治指導者が、「この戦争は欧米諸国に植民地支配されているアジアの国々・人々を解放するための戦争である。」と、戦争の大義名分をでっちあげたように。)


結局、総理大臣が自分の都合で好き勝手に衆議院を解散できる現在の制度を、それで良しとするのかの問題だろう。
もし、現在の制度を維持するのであれば、国民の多くが解散を望んでいるわけでもなく、内閣不信任案が提出されたわけでもないのに、1日でも長く政権与党でいたいからという理由で解散総選挙を行うことも当然認めなくてはいけなくなる。
あるいは、半年おきに解散総選挙がおこなわれるという状況が数年間も続くなんていう事態にもなりかねない。もっとも、そのような状況は政治が混乱状態におちいった時だろうけれど。


(消費税増税延期を争点にするのなら、増税延期に反対している人は公認しないのが筋だろう。2005年の郵政選挙の時のように。しかも増税延期に反対しているくせに、公認が欲しいからと主張を180度変える政治家たちの無節操さ。ま、政権与党に1日も長く居続けられるならなんでもやる政治家たちに、筋がどうのこうの言うこと自体が無意味なんだけどね。)
(しかし、郵政選挙の時といい今回といい、単一の議題を争点にして衆議院の解散総選挙を行う位なら、憲法改正以外にも国民投票を行える制度を制定したほうがよっぽどいい。
郵政選挙や今回の選挙を肯定している連中の中には、「憲法改正以外にも国民投票が行える制度」に反対している人たちがけっこういるが、何をか言わんやである。)


もし、現在の制度を変更するならどうすべきか。
1つの案は、内閣不信任案が可決された時しか解散できない、というものだろう。ただ、これだと、内閣不信任案が可決するなんてことはめったにないので、余程のことがない限りは解散総選挙は行われず、基本的には任期が満了する4年ごとにしか衆議院選挙が行えなくなる。国民の多くが政権に対して不満を持ち、早く衆議院選挙を行って欲しいと願っても(内閣不信任案が可決されない限りは)、任期が満了するまで我慢し続けなければいけなくなる。
というわけで、国民の間で内閣に対しての不満が高まり衆議院の解散総選挙を望む声が高まった時には解散も可能な形とする。衆議院の解散を求める署名が一定数以上集まった場合。内閣不信任案は否決されたが、不信任への賛成票が3分1または5分の2以上あった場合。上記のケースでは解散も可能とする。あるいは、上記2つの方法を組み合わせて、衆議院の解散を求める署名が一定数以上集まったら、衆議院で内閣不信任の投票を行い、賛成票が3分1または5分の2以上あった場合は解散も可能とするなど。


ただ、現在の制度を支持する意見として、総理大臣がいつでも衆議院を解散できることによって、総理が議会をコントロールしやすくなり、それにより安定した政権運営が行えるといったものがあるかもしれない。私自身は、このような主張にはあまり賛成できないが、現在の制度を支持する人の理由を聞いてみて、それが納得できるものだったら考えを変えるかもしれない。