憲法9条と自衛隊

ある時期まで、自衛隊は合憲か違憲かという論争が行われていたが(旧社会党が村山政権時、自衛隊は合憲であると方針転換したことによってこうした論争はマスメディア上ではみられなくなったが)、この問題の立て方は本末転倒だったのではないか。
まず、自衛隊が必要か不要かという議論が先にあるべきで、その後で(自衛隊が必要であるのなら)自衛隊は合憲か違憲かという議論にはいるべきだろう。
「自衛隊が必要か不要か」という論点については、ある時点で必要であるという意見が圧倒的多数派となったので政治的には決着がついた。
ただし、その後、「自衛隊は合憲か違憲か」を論じる段階で、多くの「改憲派」が「自衛隊は必要だから、憲法9条の制約をなくして普通に軍事行動がとれるようにしよう」と考えたために、自衛隊と憲法9条をめぐってねじれのような現象が生じてしまった。
国民の多数派は、「自衛隊は必要だが、戦前のように日本から他国に武力攻撃を仕掛けることには反対だ。また自衛隊を海外に派遣して戦争に参加することにも反対だ。」という考えだっただろう。
そして、「自衛隊の役割を専守防衛に限定する」というのは、実際に80年代まで日本の政府がとっていた方針でもあった。
だから憲法9条を、国民の多数派の意思ならびに日本の政府が現実にとっていた方針を反映させたものに改正しておくのが一番理想的だっただろう。
(具体的には、自衛のための軍事力を保有すること、自衛隊の役割を専守防衛に限定することを憲法に明記すべきだったろう。なお、保有する軍事力を、戦後の憲法解釈のように、自衛のための必要最小限度のものに限定すべきかすべきでないかということも争点となっただろう。)

「改憲派」の多くは、自衛隊の役割を専守防衛に限定することに反対だったために、前述のような(自衛隊の役割を専守防衛に限定した)憲法9条改正案は提示しなかった。
そして、また、「改憲派」の多くは「憲法9条を改正して、自衛隊が海外で軍事行動をとれるようにしよう」としたために、国民の多くは「自衛隊は必要である」と考えているにもかかわらず、「憲法9条の改正には反対だ」という一見矛盾したようにみえる反応をしめすようになった。

軍事政策の基本方針について国民の合意案を形成し、それを憲法に明示しておく。そして基本方針を転換したいときは「憲法解釈の変更」ではなく、憲法改正の手続きをおこない、最終的に憲法改正案が成立したならば方針転換をする。
そのような状況が実現できていれば、国政選挙も国民投票も行わず、閣議決定によって戦後の憲法で一番の争点であった問題についての変更が行われるという最悪の事態だけは避けられたのだが、今となっては虚脱感しか残らない。

<補足>
軍事政策の基本方針案は次のものが考えられる。
1 日本から他国を武力攻撃・先制攻撃することも憲法上は可能とする。
2 日本から他国を不当に武力攻撃・先制攻撃はしない。
  ただし、海外で既におきた紛争・戦争には武力行使をともなって介入できることとする。
  (この方針はさらに3つのケースにわけられる)
  a 集団的自衛権の行使、集団安全保障への参加、ともに可能とする
  b 集団的自衛権は行使できるようにするが、集団安全保障には参加しない
  c 集団安全保障には参加できるようにするが、集団的自衛権は行使しない
3 日本から他国を不当に武力攻撃・先制攻撃はしない。
  自衛隊が海外で武力行使をともなわない活動に参加できるようにする。
4 日本から他国を不当に武力攻撃・先制攻撃はしない。
  海外の紛争・戦争には介入しない。

  http://d.hatena.ne.jp/ono_gene/20120103=日本の軍事政策の基本理念に関して