5月14日付エントリに関する補論。「正しさ」をめぐる困難さ

5月14日付エントリ「選択的夫婦別姓制度に関して」に対してコメントを頂きました。コメント欄にも簡単な返答は記載してありますが、いくつか書ききれなかったことがあったので、こちらに記載しておきます。
私個人は元々は「選択的夫婦別姓制度」に賛成の立場だった(あくまでも同姓・別姓の選択が認められている限りにおいて)。ただ、憲法学者の長谷部恭男氏の制度的(あるいは理論的)に欠陥があるといった主旨の発言を聞いて、「賛成寄りの中立」の立場に若干移動した。理論的・制度的に問題があるのなら、問題点を修正した上で実施しないと上手く機能しないのではないかと思いなおしたからである。
他人に対しては、夫婦同姓を選択したい人は同姓を、別姓を選択したい人は別姓を選択すればいいと考えているが、個人的には同姓を選択したいとも考えている(配偶者が別姓を望む場合は、その意見を尊重するかもしれないが)。
前回も紹介した宮崎哲弥氏が主張していたと思うが、今回の選択的夫婦別姓制度だと、結婚したあとも生まれた家に縛られることになる(現行の制度だと、配偶者の家に縛られることになるが)。かといって、宮崎氏の主張するような改姓・創姓の制度に対しては、夫婦別姓以上の反発が予想される。
自分自身、家の制度・姓の制度に対して明確な考えをもっているわけではないので、その主張がどっちつかずのものになってしまうなとは思う。

今回のコメントを読んで考えさせられたのは「正しさ」をめぐる困難さについてである。神奈川県知事を筆頭に進められている禁煙運動。反対派からは「禁煙ファシズム」と非難されている。禁煙運動を進めている人たちは、自分たちのやっていることは正しいと信じているのだろう。
また、東京都の青少年健全育成条例に代表されるマンガやアニメの性表現をめぐる規制問題。規制派は自分たちのやろうとしていることが正しいと信じているのだろう。制度や政策、法律を正しさといった点で考えていくと、ことなる価値観をもつ人たちのぶつかり合いになってしまい、結局、権力を手にした人が自分が正しいと信じることを反対派の意見を押し切って実施することに成りかねない。ある制度・政策・法律にどのような負の側面があるかを考察して、負の側面を減少していく必要があると思う。