邪馬台国について

以前NHKで、邪馬台国は畿内にあったのか九州にあったのかをめぐる論争を検証した番組をやっていた。
そこでは最新の考古学の研究成果と、「魏志倭人伝」と呼ばれている史書中の記述を照らし合わせて、畿内説と九州説どちらが説得力があるかを考察していた。
畿内と九州、それぞれの地域の考古学の研究成果と「魏志倭人伝」中の一部分の記述とが上手く整合性がとれていて、その限りではどちらの説もそれなりに説得力があった。
だが、どちらの地域も倭人伝の一部分の記述と一致しているだけで、倭人伝全体の記述を説明できるだけの研究成果はあがっていなかった。
なお、それからしばらくして古書店で立ち読みをしていたら、「魏志倭人伝」は実際に日本にやってきた人物がそれを記述したのではなく、当時の日本社会についての伝聞を後世の人がまとめたものだという記述を目にした。
以上2つのことから1つの仮説を立てることができる。邪馬台国とは、どこか特定の地域を示しているのではないのではないか。当時の西日本各地域の伝聞を邪馬台国という1つの国の出来事として記述したのではないか。
畿内と九州それぞれの考古学の研究成果と倭人伝中の記述が一致しているのは、倭人伝の当該個所がそれぞれ畿内と九州についての伝聞を記述したものだとすれば説明がつく。
中華意識のつよい中国人にとっては、東方の小さな島国のことなど詳細に記述する必要はない、いろいろな地域の出来事を1つの小国家のこととして記述しておけば充分だと考えたのではないだろうか。
先のNHKの番組では、邪馬台国の位置を実際の地図にあてはめると、そこは海上になると放送していた。これは、邪馬台国が架空の国であることを示す隠されたメッセージではないのだろうか(ただし邪馬台国の位置は具体的な距離が示されておらず、どのようにも解釈できるものだから、そこが海上に位置するというのも1つの解釈にすぎないのではあろう)。
ここでは邪馬台国は架空の国ではないかという仮説を提起したが、卑弥呼が実在したのであればどの地域に住んでいたのかという問題が生じるだろう。そして卑弥呼が住んでいた地域が邪馬台国である、という意味での邪馬台国論争が生じるだろう。ただその場合は卑弥呼の存在を証明する考古学上の発見がなされた地域が邪馬台国だということになるから、より特定しやすくはなるだろう。
なお今後各地域の考古学研究が進展し、ある地域の研究成果が倭人伝中のほとんどの記述にあてはまるということになれば、ここで述べた仮説は説得力を失うだろう(今でも説得力はないかもしれないけれども)。