3つの危機


1 原発事故の危機
1931年 満州事変
1937年 日中戦争
1941年 太平洋戦争


2011年 福島原発事故
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2 戦争の危機
二十世紀前半の日本と似ている中国。
軍国主義時代の日本と似ている北朝鮮


1930年代から1940年代にかけては、日本が戦争を引き起こす主体になっていたが、今世紀は日本が望まなくても戦争に直面する危険性が常にある。


3 戦後民主主義体制の危機
1931年の満州事変後、明治国家体制・大日本帝国憲法体制はずるずると自滅の道を歩んでいった。
2011年の福島原発事故後の日本は、戦後憲法体制・戦後民主主義体制がずるずると自滅の道を歩んでいるようにみえる。


もっとも、大日本帝国憲法明治憲法)のうち、自分(たち)が改正してもいいと考えている条文を改正した憲法が本来の日本の憲法であるべきと考えている右派・保守派にとっては、これは危機ではなく、むしろ自分たちの望んでいる国家体制・憲法体制が実現できるチャンスととらえているだろう。


現在の日本は、幕末動乱の時代、1931年の満州事変後の十五年戦争期に続く日本近現代史上第3の転換期、混乱・動乱の時代に突入しているといえる。

「平成天皇」と「今上天皇」


もう何か月も前の話題に関してだが...。
評論家の宇野常寛が現在の天皇(陛下)を「平成天皇」と呼び、それに対して、生きている天皇(陛下)のことは今上天皇と呼ぶんだ、「平成天皇」という呼び方は死後使うんだ、という批判がなされたらしい。


この文章は宇野氏を批判することや擁護することが目的ではない。
昭和天皇ヒロヒト天皇)が生きていたときは、マスメディアにおいて「昭和天皇」という言い方が普通に使われていた気がするんだが...。
もちろん昭和の時代にも、今上天皇という呼び方をしていて、生きている天皇(陛下)に対して「昭和天皇」という呼び方をするのはおかしい、と発言していた人たちはいた。
だが、そのような人たちは少数派だったと思うんだけど。


現在の天皇(陛下)が即位してからは、マスメディアで「平成天皇」という表現はみかけなかったけど...。


自分の記憶ちがいで、昭和の時代には「昭和天皇」という表現はマスメディア上では使われていなかったのかな〜?

「東大新入生の3割は自民党支持、4割が支持政党なし。」


ツイッター上で、タイトルにしたツイートをみかけた。
なにかのアンケート調査の結果らしい。
このアンケートが事実だとしたら、きわめて無難なアンケート結果だと思う。


自民党の支持率が5割を超えるか、支持政党なしより自民党の支持率のほうが高かったのなら、「東大新入生の政治意識は大丈夫か?」と思う。
自民党の支持者より支持政党なしのほうが多いということは、まともな民主主義政党があれば、その政党が自民党より高い支持をえる可能性があるので、まだ救いがある。


日本には政権担当能力のあるまともな民主主義政党が1つもない。
自民党は愚劣な政党だが、とりあえず政権担当能力だけはある。
既存の政党の中から与党を1つ選ぶとなると、自民党を選ぶ人が1番多くなるのは仕方がない。


ただ、自民党が多くの国民の信頼を失い、支持率が1桁にまで落ち込むことになれば、政権を任せられる政党が1つもないという状況に陥り、かなり高い確率で、第2次大戦前のドイツと同じような状態になるだろう。
国民の間で英雄待望論、救世主待望論が沸き起こっても、ヒットラーのような独裁者がうみさだれる可能性が高い。


自民党がやりたい放題の政治を行う」か、「自民党が国民の信頼をなくし、政党政治・議会政治が機能しなくなる」か。
日本の政治が、この2つの不毛な選択肢しかないという状況はこれからも続くだろう。


「戦後の民主主義はもう詰んでいる。」
では、どうすべきか? と言っても有効な対処法はない。
これは、政治制度の問題ではなく、国民・政治家たちの政治意識・政治レベルの問題だから。

天皇の退位問題 −より根本的なことから考える

 *ねぎま軟骨のブログ(「ミルクたっぷりの酒」新訂版)に2017年1月26日に公開

天皇の退位 −4つのありかた

天皇の退位に関しては4つの制度が考えられる。

1 天皇本人が退位を望んでも退位できない。
  国民、政治家が天皇をやめさせることもできない。


2 天皇本人が退位を望んでも退位できない。
  国民、政治家が天皇をやめさせることができる。


3 天皇が退位を望めば退位できる。
  国民、政治家が天皇をやめさせることはできない。


4 天皇が退位を望めば退位できる。
  国民、政治家が天皇をやめさせることができる。


天皇を政治利用して徳川幕府を倒して権力を手にいれた倒幕派が、明治時代に1の制度をつくりあげ、その後、百数十年間、1の制度が継続してきたわけだが...。

天皇の退位に関する現在の制度の問題点

天皇本人が退位を望んでもそれができない1と2の制度の最大の問題点は、それが天皇の人間性、自由や意志、権利を一切無視している点にある。
<天皇陛下や皇室を尊崇している、皇室(あるいは天皇制)は守るべき日本の伝統だと称している右派・保守派の多くが、天皇や皇位継承者たちの人間性や権利・自由が無視されている状況を当然だと考えていて、天皇本人や皇位継承者たちを皇室(女系天皇反対論者たちにとっては男系の皇室)を存続させるためのただの道具扱いしていることに胸の痛みを感じていないというのがなんとも皮肉な話である。>


国民・政治家たちが天皇をやめさせることができない1と3の制度は、現在までは特に問題は生じていない。
だが、将来、天皇にふさわしくない人物が天皇に即位して、国民・政治家・官僚の多くが天皇をやめてほしい、別の人物に天皇になってほしいと望んでも、当該天皇が死亡するまでそれがかなわない事態が生じたときには問題化するかもしれない。
もっとも、現在の制度では、国会議員の半分以上が賛成すれば制度を変えることが可能なので、実際に多くの国民や政治家たちが天皇にやめてほしいと思うような事態が生じたときには制度が変更される可能性はある。


また、天皇本人が退位を望んでも退位できない現在の制度は、当の天皇自身が天皇をやめたといって一切の職務を放棄してしまえば、実質的に退位したのと同じ状態になるのだから、現実にそのような事態が生じる前に3か4の制度に移行するほうが賢明だろう。

天皇の退位をめぐる昨今の情勢

天皇本人が退位の意向を表明した昨年の出来事は、天皇や皇位継承者たちの人間性を無視した現在の制度、そしてそのような制度をそれでよしとしている政治家や国民たちへの異義申し立てと言えるだろう。
だが、安倍政権の閣僚や自民党の政治家たちは、この期に及んでも1の制度を変えたくはないのだろう。
今回の出来事の根本的な検討点は、天皇本人が退位を望んでも退位できない現在の制度を継続するのか、それとも天皇の意志で退位が可能となる制度へと変更するのかという点にある。
だが、マスコミの報道をみる限りでは、今回の問題を天皇陛下の公務軽減問題へとすり替えているようにみえる。
現在、天皇が行っている公務の多くは、天皇自身が自らの意志で行っていることだから、体がきつくて公務を減らしたいのなら天皇自身の判断で公務を減らせばいいだけの話である。
わざわざ有識者と言われる人たちが集まって、天皇陛下の公務を減らすにはどうすべきかなどということを話し合う必要はない。
あくまでも検討しなくてはいけないのは、天皇本人が退位を望んでも退位ができない現在の制度をそれで良しとするかの問題である。

おそらく安倍首相自身は1の制度を3か4の制度に変えたくはないのだろう。
だが、天皇本人が退位の意向があることを自ら表明し、国民の多数派がそれを支持している状況では、政権の支持率低下をさけるためにも天皇の退位を認めざるをえない。
そこで、1の制度自体は変更せず、特例法あるいは特別措置法によって、現在の天皇陛下一代に限って退位を可能にするなどという中途半端な政策を実施しようとしているのだろう。
現在の天皇陛下一代に限って退位を可能にするということは、皇太子や秋篠宮など将来の天皇候補者に対して、「あなたたちが天皇に即位しても自ら退位する自由や権利は認めませんよ」と言っているのと同じだから、天皇や皇位継承者を蔑ろにしたこんなふざけた対応はない。
一部から憲法違反だという非難を受けながら、あえて自身の考えを表明した現天皇の気持ちは現政権の指導者たちにはまったく届かなかったと言える。
天皇や皇族たちは、憲法が国民に保障している基本的人権さえなく(法哲学者井上達夫の言葉を借りれば、天皇や皇族を一種奴隷のような状態においておきながら)、その上、天皇が自ら退位する自由や権利さえもこれからも認めないというのであれば、安倍政権に対して心の底から怒りをもった現天皇が、現政権のもとでは一切の国事行為を行わないという行動にでる可能性だってまったくないとは言い切れない。(もちろん、実際にそんなことがおきたら政治的に大混乱の状況におちいるだろうけど。)
それに、一度天皇に即位したら退位することもできないとなると、皇位継承者たちがみな天皇に即位するのを拒否し、天皇に即位する人が誰もいなくなる可能性だってある。
皇室を守るべき日本の文化・伝統と口にしている保守・右派の政治家たちが、天皇制の存続があやうくなる制度をこれからも続けようとしているのだから、頭大丈夫か?

天皇の退位 −これからのありかた

もし、報道されているように、特例法によって現在の天皇陛下一代に限り退位が認められるとなれば、それは天皇の退位に関する制度が1から2のありかた(天皇本人が退位を望んでも退位できない。国民、政治家が天皇をやめさせることができる。)に変更することを意味する。
今回は天皇陛下自身が退位を望んだので問題ないが、天皇本人に退位の意志がなくても、国会議員の過半数が天皇の退位に賛成すれば退位させることができる、強制退位、恣意的な退位が将来おこりうる可能性もある。
(ただし、天皇にふさわしくない人物が天皇に即位して、国民・政治家・官僚の多くが天皇の退位を望んだときにはそれが可能になるので、そのことを一概に悪いこととはいいきれない。また、天皇本人、国民の多数派が天皇の退位を望んでいないのに、天皇や多数の国民の意向を無視して天皇を退位させたなら、政治家や政権に対しての信頼が一気になくなるから、政治が安定した情勢下ではおこりえない出来事ではある。
ただ、幕末のように政治が混乱期・動乱期に突入したら、天皇や皇族たちが本人の意向とは無関係に激しい政争に巻き込まれることになるだろう。)


もし天皇自身は退位を望んでいないのに、政治家や国民たちに退位させられることを防ぎたいのなら3の制度(天皇が退位を望めば退位できる。国民、政治家が天皇をやめさせることはできない。)に移行すべきだろう。
その場合、天皇にふさわしくない人物が天皇に即位して、国民・政治家・官僚の多くが天皇をやめてほしいと望んでも、天皇本人が退位の意志をしめすか、死亡するまではあたらしい天皇が即位することはできないけれども。
(もっとも、既に述べたように現在の制度のもとでは、国会議員の過半数が賛成すれば制度を変更することができる=天皇をやめさせることができるわけだから、実際にそのような事態が生じたときに制度を変更すればいいともいえる。)


天皇の生前退位が1度でも実現すれば、それが先例となって天皇が退位の意志をしめしたときは、国会で議決をとり賛成が過半数となれば退位できることになるだろうから、退位に関する制度を3か4のありかたに変えたほうがいいと思うけれども。


天皇が自らの意志で退位できる制度に反対している人は、それを認めてしまうと天皇がみな自分の意志で退位してしまい、天皇になる人が誰もいなくなってしまうことを心配しているのかもしれない。
だが、天皇が自らの意志で退位できない現在の制度を続けても、一度天皇に即位したら退位することもできないとなると、皇位継承者たちがみな天皇に即位するのを拒否し、天皇に即位する人が誰もいなくなる状況だっておこりうる。
天皇の退位に関する制度をどのようなものにしても、天皇制を現在の形で続けた場合、将来、皇位継承者がいなくなる可能性はある。


天皇の政治行為、政治家・官僚による天皇の政治利用の問題は、憲法の問題もあわせて検討しなければいけない点が数多くある。
(憲法に規定されている国事行為以外の天皇の政治行為−皇室外交など−を公務と名付けて憲法違反ではないとしている問題。皇室の宗教儀式を公務とすると、憲法の政教分離規定に抵触するので、天皇の宗教行為は天皇家の私的な行為だとしている問題、など。)

最後に

天皇制の問題は左右のイデオロギー対立の問題でもあるので、筆者の政治的スタンスを表明しておく。


天皇制のありかたに対しては、大別すると4つのタイプにわかれる。
1 天皇が政治権力を行使できる。
  ただの世俗権力ではなく、宗教的権威(宮台真司の用語を借りれば「聖なるもの」)でもある天皇に権力を集中させた祭政一致の神権政治(神権国家)。


2 天皇が直接政治権力を行使はできないが、儀礼的・形式的な政治行為をおこなう制度。
  (戦後日本の象徴天皇制)


3 天皇を宗教的権威(「聖なるもの」)とみなして、政教分離の考えにもとづき、国家の統治機構・統治機関とは独立した存在とする。
  イメージとしては、天皇・皇室を西ヨーロッパのローマ教皇・ローマ教会のような存在とみなしたもの。
  (「天皇は京都に帰って、世俗的な政治とは離れて宮中祭祀をおこなえばいい」という主張がこの立場の代表的なもの)


4 皇室は廃止する。


筆者の立場は3のものである。
ただし、天皇・皇室は日本の歴史の中で特別な位置をしめてきたし、多くの国民が天皇・皇室に対して特別な感情をもっているから、主権者である国民が同意するのなら、皇室を完全な民間団体ではなく、準国教的な存在とすることには反対しない。
皇室の運営費用に税金を投入する、など。(その場合、現行憲法の政教分離規定をどうするのかが大きな検討点となるが。)

偶然の一致


細川政権が誕生して約1年半後に阪神淡路大震災がおきた。
鳩山政権が誕生して約1年半後に東日本大震災がおきた。


戦後日本の2つの大きな震災が、ともに自民党が野党に転落してから約1年半後におきたのは、単なる偶然の一致であり、そのことに科学的な根拠などは当然ない(筈である)。
だが、こういう嫌な偶然がおきると、自民党が三度野党に転落したら、また大震災がおきるのではないかという不安も生じてくる。


1931年、満州事変勃発。
1937年、日中戦争勃発。
1940年に予定されていた東京オリンピック、中止。


2011年、福島原発事故発生。
その9年後に東京オリンピック開催予定。
福島原発事故から6年後の今年2017年。
第二の原発事故がおきるか、福島原発で甚大な被害が生じて、それが原因となって予定されていた2020年の東京オリンピックが中止になったなら......。

嫌な偶然の一致がまたおきることになる。

自民党の憲法改正草案


自民党が2012年に発表した憲法(改正)草案がそのままの形で発議されたとき、国民投票でどのような結果が出るか興味深い。
自民党の政治家たちを選挙で選んでいるのは日本の国民なのだから、(改正)草案がすべて可決する可能性もある。
一方、自民党を支持している国民、選挙のとき自民党に投票している有権者の中には、自民党のつくった憲法(改正)草案には反対だと考える人たちも一定数いるだろうから、すべて否決される可能性もある。


国民全体の憲法に対する意識や価値観がどのようなものかを知るのには興味深いケースだといえる。


あのような憲法草案しかつくれない政党、政治家たちが国会で3分の2以上の議席をとりそうな状況。
あのような憲法草案しかつくれない政党しか政権担当能力のある政党がないという状況が脱力ものでしかないが。

2016年11月10日のツイート

今から20年後、トランプを大統領に選んだアメリカ国民は、ヒットラーナチスに権力を与えたドイツ国民と同じような愚民だと非難・嘲笑されるような状況になっているか。それともアンチトランプ派の予想(心配)は外れて、比較的無難な政権運営を行うか。後者であって欲しいけどね。



これから第三次世界大戦がおこるかどうかは不明だが、現在の国際政治の世界が、第二次世界大戦前のような混乱・動乱・危機の時代に突入しているのは間違いないだろう。同じような感想(危惧)を感じている人はかなり多いと思うけれど。