大東亜戦争=アジア解放戦争論の欺瞞

(サブブログ「ミルクたっぷりの酒・濃縮版」に2010年7月4日公開したものを転載)

太平洋戦争あるいは大東亜戦争という名で呼ばれている戦争。
日本の戦争指導者たちが、欧米諸国に植民地支配されているアジアの人々を、その支配から解放することを一番の目的として戦争を行ったのであれば、私はその戦争を肯定はしないけれども否定もしない。
だが、私が太平洋戦争、大東亜戦争という名で呼ばれている戦争を肯定できないのは、日本の戦争指導者たちがその戦争を行った一番の要因が、経済危機を脱するために、欧米諸国に植民地支配されている地域の資源を奪いとることにあったことが明白だからである。
自国の利益のために、他国の支配下にある資源を奪いとろうとしながら、その戦争をアジアの人々の解放のための戦争だと言い募るのは、二重の欺瞞であろう。
(だからといって、欧米諸国による東南アジアやインドの植民地支配が正しいわけではないが。)
日本人の多くが貧困に喘ぐ中、よその国の人々の解放のために多くの日本人の命を犠牲にして戦うほど、日本の戦争指導者たちが博愛に満ちた人物であったとはとても思えない。
だが、大東亜戦争を肯定している人々は、アジア諸国を解放するその代償として、その地域の資源を貰おうとしただけなのだと考えているのかもしれない。


もし、日本の行った戦争がアジア解放戦争だというのであれば、その戦争は以下のような手順を踏む必要があっただろう。
まず第一に、日本が植民地支配している台湾や朝鮮を解放する。
その地に独立後できた政権が、日本と共に他のアジア地域の解放戦争に参加するのであれば一緒に戦う。
(独立後できた政府が満州国のような傀儡政権であるならば、真の解放とはいえないだろう。また満州地域も当然中国側に返すべきだろう。)
次に、いついつまでにアジアの植民地を放棄せよ、さもなければアジア地域の独立を目的として戦争を仕掛ける、と欧米諸国に対して事前通告すべきである。
そして、東南アジアやインドの独立運動家たちと協力して戦争を遂行すべきであろう。
(なお、独立戦争を行うかどうかは、本来植民地支配されている国の人たちが決めるべきことである。独立戦争がおきた後、要請をうけてこれに介入するのならともかく、解放戦争と称して勝手に武力攻撃することは不当な行為であろう。)
また、欧米諸国が植民地を放棄したならば、その地には日本の傀儡政権ではなく自立した政権が樹立されるべきだろう。
そして、その政権が日本と共に他の地域の独立戦争に参加するのであれば、協力して戦うべきだろう。
もっとも、日本の行った戦争を肯定している人たちは、最終的に日本が勝利を収めたならば、その時点で東南アジア地域のみならず台湾や朝鮮の独立も承認するつもりだったのだ、などと虫のいいことを考えているのかもしれない。
いずれにせよ、大東亜戦争がアジア解放戦争だったのだという主張は、日本が戦争に負けたからこそ言える主張であり、もし日本が戦争に勝っていたならば、東南アジアの国々は日本を相手に独立戦争を戦うことになっていただろう。


だが、皮肉な話ではあるが、もし日本が太平洋戦争、大東亜戦争と呼ばれている戦争を行っていなかったならば、日本や欧米諸国に植民地支配されていた国や地域の独立は、実際より何十年も遅れることになったであろう。
もし、日本が中国での戦争から早々に手を引き、ドイツやイタリアと同盟を結ばず、ヨーロッパでおきたであろう枢軸国と連合国との戦争に、中立の立場をとるか連合国側で参戦していたら。
ヨーロッパでの戦争は史実通り連合国側が勝利していただろうから、1945年の時点で台湾や朝鮮が日本の植民地支配から解放されることはなかったであろう。
そして、台湾や朝鮮、東南アジアなどで独立戦争がおきた時には、日本と欧米諸国が協力してこれらの鎮圧にあたったかもしれない。
あるいはこれらの地域で東側陣営と西側陣営の覇権争いがおこったかもしれないし、場合によっては日本も含めた三つ巴の戦いがおこったかもしれない。
大東亜戦争肯定論者たちは、「だから日本の行った戦争は、(結果的に)アジア解放戦争だったのだ。」と声高々に主張しているのかもしれない。


○歴史と戦争
 第二次大戦後の3つの歴史観
 日本近代史をめぐる4つの歴史観
 侵略戦争と自衛戦争
 大東亜戦争=アジア解放戦争論の欺瞞


 なんじゃこりゃ〜。ネットっておもろいの〜。(でもちょっと怖い)