「御上の威光にみんなひれ伏せ」言葉についての雑考・その2「看護婦・スチュワーデス」

00年代の前半だったか、テレビや雑誌から看護婦・スチュワーデスという言葉が消え、看護師・キャビンアテンダントという言葉が使われはじめて違和感を覚えたことがあった。
面白かったのは、普段フェミニズムに対して批判的だった保守系・右派系のメディアも、政府・行政機関が看護婦・スチュワーデスという呼称をやめて看護師・客室乗務員という言葉を使用しだしたら、命令されたわけでもないだろうに政府の方針に自ら従って、看護師・キャビンアテンダントという言葉を使いだしたことだった。
もし政府・行政機関が看護師・客室乗務員という言葉を使用しなかった場合、民間人の学者や評論家が「職業の名称を性別と一致させるべきではない」と主張しても、多くの保守系・右派系メディアはそのような主張を鼻で笑っていただろう。
ところが政府・行政機関が「職業の名称を性別と一致させない方針」をとった途端、内心ではその方針に反対しているだろうに政府・行政機関に迎合してしまうのだから、笑いを通り越して情けなくなってきた。ま、それだけフェミニストたちの戦略・戦術が巧みだったということだろう。政府・行政機関が看護婦・スチュワーデスという言葉の使用を中止したら、右左関係なく国民が揃ってその方針に従うのだから。
社会の民主主義化にはメディアの役割が重要だが、マスメディアが御上にべったりつき従う体質をもっているのだから、日本の社会が民主化しないのも当然といえば当然かもしれない。

看護婦・スチュワーデスの呼称に関して


「職業の名称を性別と一致させるべきではない」という主張には自分も同意する。だから、看護婦を看護師に、スチュワーデスを客室乗務員に言い換えた方針は間違っていないと思う。男性の看護師を看護婦と呼ぶのはおかしいし、職業名が男性用(看護士)・女性用(看護婦)と2種類あるのは非合理的だし。
ただ、看護婦・スチュワーデスという呼称自体を禁止しようとしているのなら、その方針はおかしいだろう。
「女性の看護師」を看護婦、「女性の客室乗務員」をスチュワーデスと呼ぶのは言葉の使用法として極めて合理的である。
男女関係なく職業名を「看護師/客室乗務員」、男性の看護師・客室乗務員を「看護士/スチュワード、パーサー」、女性の看護師・客室乗務員を「看護婦/スチュワーデス」と呼ぶのが便利で合理的だと思う。(看護士と看護師の発音が同じな点にやや難があるが。)
フェミニストのなかに、「女性の看護師」を看護婦、「女性の客室乗務員」をスチュワーデスと呼ぶことにすら反対している人がいるのかは不勉強にして知らない。マスメディアの人間のなかには、事なかれ主義から、あるいは過剰な自主規制意識から看護婦・スチュワーデスという言葉の使用を自粛している人たちもけっこういそうではある。


補:wikipediaをみたらキャビンアテンダント和製英語で、英語ではフライトアテンダント、キャビンクルーと呼ぶとあった。


[自分つっこみ]書き終わったあと見直してみたら、けっこうツッコミを受けそうにも感じた。
看護士・看護婦を法律用語として看護師に統一した以上、マスメディアが看護師という呼称を使うのは、御上の威光にひれ伏しているわけではなく、きわめて合理的・現実的な態度だとはいえる。
ただ、看護婦・スチュワーデスという言葉の使用を過剰に自主規制しているようにもみえるけれども。