「戦前・戦後」と「戦前・戦中・戦後」

日本の近現代史の(ジャーナリズム的な)時代区分には「戦前・戦後」という区分と「戦前・戦中・戦後」という区分があるが。
前者の場合、1945年を境にそれ以前を戦前、それ以後を戦後と呼んでいるが、戦前と戦後の区切りを1945年のどの時点に設定しているのだろう。
一般的には8月15日を境にしてそれ以前を戦前、それ以後を戦後と呼んでいると思うが、正式に戦争が終了したのは9月2日だという意見もあるようだし......。


後者の場合、戦前と戦中をどの年で区切っているのだろう。
十五年戦争的な考えにたち満州事変勃発後の1931年以後を戦中としているのだろうか。
その場合、満州事変から日中戦争開始までの期間も戦中(戦時中)といえるのだろうか。
あるいは日中戦争開始の1937年以降を戦中と呼んでいるのだろうか。
太平洋戦争が始まった1941年以後を戦中と呼んでいる人はいないような気がするので、1931年以降戦中説と1937年以降戦中説の2つの考え方があるのかもしれない。


「戦前・戦中・戦後」という呼び方はここ20年位の間に目にするようになった(自分が目にしていないだけで、それ以前から使われていたのかもしれないが)。
80年代までは「戦前・戦後」という呼び方が一般的だったこともあり、どうも「戦前・戦中・戦後」という言い方には今一つなじめない。
いつから戦中になったのかについて明確な定義があるようにもみえないし。


戦後という言い方がはやくなくなって欲しいと思っている人も結構いるような気もするが、戦後という言葉は、太平洋戦争終了後に確立された社会の在り方を総体として表している言葉なので、大きな制度変革が起こるか再び戦争に突入するといったことがなければなくならないような気もする。
(戦後の社会システムは、太平洋戦争中に確立したシステムが継続されているという意見もあるけれど、一般的には戦前と戦後の連続性よりも断続性のほうがつよく意識されているだろう。)


団塊ジュニアと呼ばれている1970年代以降に生まれた人たちが、自分たちが生きてきた時代が戦後と呼ばれてきたことに対してどのような考えをもっているのかは知らない(色々な考えがあるだろうけれど)。

現在の歴史的状況


今年の3月11日以降、(多分御厨貴の造語だと思うが)災後という言葉もちらほらとみかけるが、この言葉が戦後という呼称に代わるかは現時点では不明。
言葉は、その言葉が何を意味しているかだけでなく、語感(音の響きやリズム、イメージなど)や字面(文字表記したときのイメージなど)も大事なので、自分には災後という言葉は語呂が悪いので広く流通するようには思えない。
また災後という言葉を使用する人たちは、今回の大災害・原発事故によって戦後長く続いてきた社会の在り方(制度やシステム)が変化する、あるいは変化させなければいけないと考えている人が多いような気がする。
これからの社会・歴史がどのようなものになるかは、(運命論・決定論的な考えに立つのでなければ)人々が今後どのような動きをするかによって決まってくるが、大体次のケースが予想される。
1・「なにも変わらない」説 ・現在の社会の在り方が多少の変化はあっても大きくは変わらずに続いていく。
2・「歴史の転換」説 ・社会の在り方に大きな変化が生じる。
 a 動乱・混乱説 ・幕末以来の内乱状態に陥る。
 aの(1) 国家崩壊・分裂説 −内乱の収拾がつかず、そのまま現在の国家が崩壊する。紛争状態が続き無政府状態が続くケースといくつかの小国家に分裂するケースが考えられる。
 aの(2) 制度・システム転換説 −内乱状態に収拾がつき、その後、新しい制度・システムが構築される。

 b 制度・システム転換説 −内乱状態には陥らず、平和的な方法で新しい制度・システムが構築される。


人々の行動は経済状況に大きく左右されるから(ただし「経済決定論」ではない)、現実の歴史・社会がどのようになるかは経済情勢がどうなるかによっても変わってくる。
また対外関係・国際情勢にも大きく左右されるから、外国がどのような動きをするか、外国とどのような関わりをもつかによっても変わってくる。
右翼的な考えをもつ人たちのなかには、「このままでは日本は外国に侵略されてしまう」と危機意識のみを募らせている人がけっこういる。
現時点ではこういった主張は妄想に近いが、おこりうる最悪のケースも想定し、そうならないよう細心の注意を払うことも必要ではある。ただし「憲法9条を改正して軍事力を強化」する日本の行為が、逆に外国の日本に対する敵対的行為を招く場合もあるから、ヒステリックになってキャンキャン吠えているだけの右翼勢力は、政府の冷静な対応力を狂わせる危険要因にすぎないんだけどね。(今の政権には冷静な対応力がない、という批判はその通りだろうけれど。)