仙谷発言「自衛隊は暴力装置でもある。」を考える

○別ブログに記載したもの(2010年11月20日記述分)をこちらに移しました。


仙谷官房長官の「自衛隊暴力装置でもある。」という発言は、政府高官の発言としては不適切だった。
本人もそのことにすぐ気付いたから、発言を撤回し謝罪したのだろう。
暴力装置」も「(物理的)実力装置」という言葉も、内容自体は同じ概念を指している筈である。
だが、暴力という日本語にはマイナスイメージしかないから、先の発言により仙谷官房長官自衛隊を否定していると受け取られても仕方ないだろう。
発言の真意を無視して「暴力」という言葉に過剰反応している国民も多いが(というよりもそのような国民が大多数だが)、与党の政治家がふと漏らした発言を失言・問題発言として叩く行為は自民党政権時代から何度も行われてきたのだから、脇が甘かったとしかいえない。


仙谷発言に対しては、産経新聞を筆頭にした右派・保守派がこれを叩いているが、彼らに次の質問をしたらどのように答えるのだろう。
北朝鮮の軍隊は暴力装置ですか?」「中国の軍隊は暴力装置ですか?」


もし、「自衛隊暴力装置ではないが、北朝鮮と中国の軍隊は暴力装置だ。」と答えるのであれば、その根拠はなんだろう。
(「中国の人民解放軍こそ、チベットウイグルで虐殺を行った暴力装置だ」といった意見もみかけたが、仙谷発言は「自衛隊だけが暴力装置だ。」と言っているわけではなく、「日本の自衛隊アメリカの軍隊も、中国や北朝鮮の軍隊も、国家の保有する軍隊は暴力装置である。」という主旨なんだけどね。もちろん、わざわざ「暴力」という単語を使わず、最初から「(物理的)実力装置」と言っていれば非難されなかったのだから、仙谷官房長官の発言が軽率・不適切であったことには変わりがないけれども。)



護憲派憲法9条維持派)の人たちが、「憲法9条によって他国を先制攻撃することを封じられた自衛隊暴力装置ではない。」「9条が改正されたら暴力装置になってしまうから、これを改正すべきでない。」と主張したら、仙谷発言を批判していた改憲派はどう答えるのだろう。
まあ、「自衛隊は他国を先制攻撃することを禁じられているので暴力装置ではない。」という主張自体に反対するだろうけど。
軍隊と暴力装置の関係について、それなりに整合性のとれた理論を用意しておかないと、仙谷発言を批判したことが改憲派に不利な状況をもたらす可能性もあるだろう。


仙谷官房長官は「自衛隊暴力装置だ。」といったのではなく、「暴力装置でもある。」と発言し、この「でも」という言葉が重要だったのに、暴力という表現に過剰反応し、発言の真意はまったく無視されている。
自衛隊は国家の主権と国民の生命・財産を守ること」が主要な任務だが、一方暴力装置でもあるので「暴走して国民の生命・財産を脅かす存在にならないようにしなければならない」というのが発言の真意だろう。
言葉尻をとらえて感情的になってバッシングをするというのは、数年前、久間元防衛大臣の「原爆しょうがない」発言が感情的に叩かれたときと同様だった。
日本のマスコミや国民には、論理的にものごとを考えて議論するという習性・習慣がまったくない。
マスコミ・国民が対話能力のない国では民主主義は育たないから、日本が民主主義国家として成熟しないのがよくわかる。